「マッサージ」という特殊スキルを身につけた結果、死ぬことはないと実感できた話。


こんばんは、大阪のメンズセラピスト、こころとからだのブレンダー、ナカノケンジです。

成果給の企業で、成果が出ずただただ逃げた

前職に入社して成果上げてなんぼって世界で、なかなか数字も上がらず思うようにいかず。休みの日に出てきたりテッペン超えるまで仕事したりもしょっちゅうしてたけど、さっぱりやし。会社内で売れる人はすぐ売れるし、そういうのを間近で見聞きしてたこともあり、1年ほどして「これはもう自分の力不足や。この仕事・この会社に向いてねえな」と感じてしまって。

そっから半年ほどは、逃げるか否か、つまり、退職するか続けるか、の葛藤と闘ってました。成果でないまま辞めるってことは自分ができない人ってことを自分自身で認めるようなもんやし。それがなによりいややったかな。

あとは会社の人に「お前ここで逃げたら逃げ癖つくぞ」とか言われて確かにそうよなって思ったり。まあ今思えば脅しやん、って感じやけど。

最終的には、あと3ヶ月だけ耐えてみてあかんかったら辞めようという判断をして、案の定あかんかったので逃げました。

自己嫌悪よりも、すっきり感が強かった

恥ずかしながらほとんど成果をあげず逃げるように辞めた形だったので、自信もへったくれもない残念な状態で。

逃げるか悩んでた時期~逃げた直後はとりあえず虚勢で生きてる感じで、自己嫌悪はなはだしい状況でしたが、逃げたおかげで結果的に今が一番いきいきしてる!

確かに逃げるのは恥ずかしかった!

自分ができない人間だと認めなあかんし、周りからはすぐに諦める人間だとバカにされるし!

いろいろ言い訳はできるけど、逃げは逃げで変わらんと今でも思う。けど逃げてよかったなって心から思います。

「避難場所をどれだけ作れるか」

「逃げられる場所があるかどうか」って、めちゃくちゃ大事です。逃げ場があればいざというときでもなんとかなるし。

これからのテーマとして、「避難場所をどれだけ作れるか」ってのが大きいかなと個人的には感じていて。年齢重ねればなおさら。

家族・友達・パートナーとか、頼れる人間関係も避難場所になると思うけど、それより「自分の能力、スキル」こそが避難場所を生み出すのかなと。

もし会社の後ろ盾があってこその自分だった場合、会社がダメになったときどうなるかってすごい恐怖だなっていうのは昔から思ってました。

ずっと営業職だったこともあって「特殊スキルなんて身につかないしやばいなー」と不安は大きかった。

なにわともあれ、誰かに必要とされるスキルがあれば、逃げようが何しようが食い扶持には困らないしどこでも生きていけるし最強やと思うんで、自分のやりたいことをやってスキルを身につけていこうと思います。

そんなこんなで、現在は「マッサージ」という技術職についています。

最近、友人や知り合いの方、さらにそこからご紹介いただいたみなさんに足つぼフットマッサージや首肩腰もみほぐしを行っておりますが、複数のスキルをもつ楽しさを感じています。

タダほどこわいものはない?

ボク自身は人にマッサージすることが楽しく、特に謝礼や見返りといったものは求めてないまま活動してます。(いまのところ)

しかしながら、マッサージを受ける側の方々はどうやら

「お金を払いたいorお返しをしたい、というか、なにかお返しせずにはいられない」という気持ちになるみたいです。

これ、なんだかフシギじゃないですか?

少なくとも自分は、マッサージを受けるときでも食事をするときでも、できるならば安いほうがいい。消費行動として「安さ」というのは選択するうえで非常に大事でしょ。安いほうがいいというのは紛れもない事実。

しかしながら、まったくの無料で受けるとなると、逆にその違うみたいで。

サービスを一方的に受けることが精神的に負担になるんです。

ある人に、「お返ししたいのならそのやり方や金額は、あなたに任せます。」という旨を伝えたら、「それが一番困る」と文句を言われました。ある意味で不親切なのかもしれませんね。笑

タダでしてもらうことで負い目を感じるというか。好意の返報性じゃないけれど、なにかお返しをしたくなるという不思議な心理。

ただ、そうやって負担を感じるのは、友達だったり紹介していただく方だからかもしれない。この一連の疑問をひとに話したところ、「それはケチくさいと思われたくないからじゃない?」という意見をもらえました。

なるほど、そういう側面もあるのかもしれない。

全くの赤の他人であれば、「タダでいいんすか。あざーす。」なのかもだけど。

お金って結局なんなんだ?

無料でなにかしてもらったら、人はお金を払うことで受けたサービスのお返しとする。お金を払うことで、精神的な負担を解消することができる。

「受けたサービスとお金を交換した」と。

そう考えるとお金って便利なんだなって気づいた。ある意味、カネ払えばいいみたいなところもあるよなって。

いまだに「お金って結局なんなんだ?」って思う。銀行員やってたにもかかわらず。。。

お金の新たな側面は見えた気がするけれど、いまだ「お金の正体」が見えない。

タダでやってもなにかしら返ってくるみたい

「ただでなにかしてあげることは、お金にならないから損するだけだ。」

そんなふうに思ってた節があったけれど、無料でフットマッサージとかなんやらやって、まったく損はしていないと感じている。

無料でやってるんだけど、お金であったりお金以外のモノであったり。なにかが必ず返ってくる。

昨年、坂爪圭吾さんのお話会に参加した際に、坂爪さんがそのときに話されていたコトバ。「お金はコミュニケーションを不要にする。」

その言葉を思い出した。

お金があればムダな交渉せずともサービスを受けられる。お金を稼ぐ活動を(たぶん)していない彼らは、人とのコミュニケーションで生活を成り立たせている。

まったくの他人に家をもらい、交通費をいただきながら国内・はては海外までも行ったりしているよう。

彼はことばを伝え、人との関わりのなかで、お金を媒介とせずに生きている。

坂爪さんの生き方を見ていると、よりいっそうお金とは?ひととの関わりとは?ということを考えさせられる。

そして今回のボクの経験と彼の生き方からいえることは、無料で動いたとしても「必ずあなたのもとに何かが返ってくる。」

お金にならないからといって動かないのではなく、お金をとらずボランティアみたいに活動したとしても。必ずなにかわからないがたしかに「なにか」があなたに返ってくる。それだけは自信をもっていえる。

もしかりにお金が尽きても、自分が他人に対してなんらかの必要とされるサービス・価値があれば、衣食住はなんとかなりそうだなって実感した今日この頃でした。







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