【共同企画】ボランティアはどうしたら日常化するのか?


さて、、今回は、Kai Nishii氏との共同企画で、「ボランティアはどうしたら日常化するのか?」という同じテーマで文章を書きました。ただの思いつき企画。

 

Kai氏とぼくの共通点ですが、「神大の心理学コース出身・大阪出身・変態」くらいで、

それ以外の部分では全然違う人生を送ってきてるし、

同じテーマやけど全く毛色の違う内容になっているのではないかと、企画したぼく自身が一番楽しみにしています。(といいながらさっき読んだ。個人的にはやって正解やった。「Kaiさんそうきましたか」、って感じ。)

 

こちらを見ていただいている方には是非読み比べていただきたく、以下にURLはっつけてます。同じテーマでどれだけ書く内容が変わってくるのか、より一層楽しんでいただけると思います。

 

Kai Nishii氏のブログはこちらから。↓

「ボランティアを日常化するために髪型をツーブロックにしてみませんか」

これ以外にも、ゲイや童貞について語った文章も秀逸なので是非読んでみて!

 

 

 

さて、「ボランティアはどうしたら日常化するのか?」(中野ver.)ですが、

 

まずこのテーマを頂いたときの率直な感想として、なんか書くの難しそうやしちょっと重たい話題やなと感じました。「ボランティア=重たい」という発想が出てきたところがまず驚きです。無意識にでも「ボランティア=重たい」なんて思ってるんやね自分は。

 

続いて個人的なボランティア経験について。これまでやったのは、「献血、献血の呼びかけ、海岸のゴミ拾い、幼稚園で子どもと遊ぶ」くらいです。献血はこれまで10回超え、他のやつは単発1回限り。ボランティアを語るには経験がなさすぎるけど、献血だけはそこそこ回数も行ってるし思い入れがあります。

 

なんてったって、大学の卒論テーマは、「青年期における献血行動について」ですからね。昔使ってたUSBにデータ入ってたのでUPしてみます。

●卒論発表会のパワーポイント資料●

この資料の内容、いろいろツッコミどころありますがご愛嬌で。それくらい献血には関心があるってことはわかってもらえたかと思います。

 

献血は、大学生のころから始めました。はじめて行ったきっかけは何故か思い出せない。何人か友達も連れてったしデートでも行ったりしてました。若年層の献血離れが問題になってることもあるし、献血デート流行らんかな。西梅田とか阪急グランドビルのセンターは綺麗やし景色いいからオススメです。赤十字のまわし者か。

 

 

流れを戻して、なぜ自分は献血をするのか。それは「自分のため」です。献血で血を抜けば新しい血液が作られるから、血液がフレッシュになる上に身体の回復機能が強化される気がして。笑

血液は腎臓かどっかで濾過されるので血を抜かんでもきれいにはなってるらしいですけどね。でも、一回400ml失血して、新しく作られた血液のほうが新鮮できれいな気がしません?笑

だから赤血球を戻してくれる成分献血は一切やりません。400ml専門です。

ほんとただただ、自分の健康の為にやってます。血液を必要としている人がいる、困っている人がいるから血液を提供しよう、という利他的な動機からではないです。ボランティア精神のかけらもございません。

 

今回、「ボランティアはどうしたら日常化するのか?」ってテーマですけど、今のところ日本でボランティアが日常化する気配を全然感じないよね。むしろ、非日常のものというか。特定の人だけがやってるものというか。少なくとも自分はそんな感覚です。冒頭にも書いたとおり、 ボランティア=重たい って感じてるくらいやし。重たい=重要なこと、意義のあるもの、責任のかかるもの、って感覚かな。

 

ボランティアの非日常感を例えで言いたいけど難しい。

・日本では多くのご家庭でお風呂に湯船ためますけど、アメリカではシャワーだけでお湯貼る習慣ないやん(おそらく)?

日本ではボランティアする習慣がある家庭より、関心ない家庭のほうが圧倒的に多いやん?そういう家が多いから小さい頃からボランティアに馴染みないしそういうのやってへんのに、大人なって急にやりだす人もまぁ少数でしょ。だって習慣じゃないんやもん。日常化=習慣化してるかどうか。

 

あとなんか思いつきで思ったのが、、、例えばやけど、家でさえ家事全然やったことないのに、よその地域が困ってるから家事の手伝い行ってくれって言われても、「ええーっ」ってなるやん。「いやいやハードル高いっすわ。そんなんやったことないっすわ。」って。人から頼まれてもそんな感じやのになおさら自主的になんてよう行かん。身近でもやってへんこと、よそでできるかいなって。

 

 

全然まとまりない文章で申し訳ないんやけど、

もしボランティアを日常化させるとしたら、強制的に参加させること・経験させることが必要なんじゃないでしょうか。「ボランティアと強制」という相反するワードですけど。強制的にボランティアをさせることによって、ボランティアのおもしろみを感じることもあるんじゃないでしょうか。イヤイヤやってみたけど、「案外これおもろいやん」ってことも往々にあるし。

小中の義務教育の時期にボランティアさせる。高校、大学生に関しては、最低○○日以上のボランティア経験がないと卒業できないとか。とりあえず経験させてみて感じさせて。

無理やりやらされていややったやつはこれまでどおりやらんやろうし、ちょっとでもええなと思った奴にとっては、自主的にボランティアをする際の導入ハードルが下がってるからはじめやすいやろうし。

 

しかしながら、ぼく自身はボランティアが日常化しようがしまいが、正直どっちでもいいというか、やりたけりゃやればいいんじゃないでしょうか、というスタンスです。ボランティアが一般的になった日本社会を想像したら素敵やけどな。

 

 

あとは金銭的な話やね。資本主義のギブアンドテイク精神。持ちつ持たれつ。なにか活動したら金銭的見返りがほしいよね。自分もまあそうやしなー。あんまりかっこよくないけど、正直なところ、なにかしら自分にメリットないとやりたいと思わんよね。

自分にとって献血はメリットに溢れているけれど、多くのみんなにとってはそうじゃないからやらんのやろし。注射きらいとか痛いとかいう人いてるけど、自分にとってはごっつい注射針刺される瞬間もドキドキして楽しいんです(ただの変わり者です)。

 

ぼくは献血でメリットや楽しみを見つけたように、各人がボランティアと呼ばれる諸活動になにかしら参加して、続けたいな・またやりたいな、って思わない限り、ボランティアは日常化しないでしょう。







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