日々チャレンジすることが、刺激的な人生を創る。


もしほんとにお金も家も仕事もなく、にっちもさっちもいかなくなったらとりあえず草食って生きていけばいいやとか考えてる楽観主義者です。どうもナカノケンジです。

 

最近、逆立ちある気ができるように練習に励んでます。みんなが働いてるときにぼくは壁倒立してます。だけど現時点では焦りもないし将来の不安もないです。

昔から逆立ちがうらやましかった。

さて、小学校の頃から逆立ち歩きができる人がうらやましくって。バランス感覚そんなにないし、鉄棒とかマット運動、跳び箱といった器械体操的な運動が不得意やったから、自分には無理やわーって諦めてたんやけど。

最近、「なりたい自分になる」

っていうのを1つのテーマとして掲げていて。自分は逆立ち歩きのできる男でありたい。なのでトレーニングに励んでます。ほんとはバク転もできるようになりたいんやけど、それは独学では怖いのでお金ができたらスクールに通おうと、お楽しみにおいてます。

 

・・・「そんな話興味ないわ!」っていうみなさんの心の声が聞こえてきます。あと、「どこで逆立ち歩きを披露するねん!」って。全然バカにしていただいても結構なんですけど。

バカにされてもやりたいことやれ。

けどみんなも、全く意味ないししょうもないことやけど「これができるようになりたい」、とか、「こんな自分でありたい」、ってのがあるんじゃないかなって思うんですよ。ほんまにないですか?

 

話を少し変えて、、、「こうなりたい」ってなかにも、種類があると考えてます。

・「純粋にこうなりたい」って自分の内側から欲求があがってくるパターン

・「こうあるべきだ」という義務感・価値観から、こうなりたいって思うパターン

・こうなりたいって自分では思ってるつもりやったけど、実は本心ではそう思ってなかったパターン etc.

 

例えば、自分の場合は速読のスクールに十数万つっこんだけど、途中で行かなくなって(笑)

本を早く読めるようになって情報インプットしまくりたいと思ってた「つもり」やったけど、本心はそうじゃなかったんやなって。「出来る人間になるにはたくさん読書をすべし!」っていう意識高い系な強迫観念にとらわれてただけやった。

ホントにやりたいことは自然と続く。

もし続かなかった場合なんかだと「あ、これはオレの心は望んじゃいなかったんだ」って、自分を知るにはもってこいやなーと感じます。

読書は好きやけど、じっくりゆっくり読んでマイペースに楽しもう!と思えるようになりました。

そんな感じで、もしやってみて続かないってことは、「できるようになりたいと思ったものの、実は自分が心から望むものではない。」ってこと。だから続かなくても落ち込まなくてもいいと思います。

 

なにもないから挑戦できる幸せ

チャレンジするには環境も重要ですよね。

この直近1ヶ月半で、彼女を失い、仕事を失い、いろんなもんを失った気がします。

そのせいで以前に比べずいぶんと失敗を恐れなくなったというか、なんか起こってもまぁええか、という、非常に精神的にらく~な状態が続いてます。

女の子を食事誘うのでも躊躇がなくなりました。断られても平気というか、その後の関係性もまぁなんとかキープできそうな自信があるというか。まだうまくいってないですけど(笑)、誘ったからといってなにかが壊れるわけではないんだなっていうのはわかりました。

いろいろ気にしすぎやったなって。もしなんか起こればそこでフォローの動きをすればいいだけやって。

そういう男女の話だけでなく、何事に対してもチャレンジングに攻めていける状態に変化できたな、とは思う。いろいろ失ったことによる副産物?か。空いた穴にはなにかが入ってくるんですかね。ありがたや。

もちろん状況的に攻めれない人もいるのは理解してます。同世代でも既に荷をたくさん背負ってる人に対しては、尊敬の意をもっています。出来る限りひとと自分を比較しないようにしたいのですが、単純にすごいなーって思う。立派やなって。

ただ、その荷のせいにしてやりたいことをやらずに後悔して死なないようにしてほしいし、自分自身も今後そうならないようにしたいと思ってます。

「知らない」ことの強さ

塾講師をしているとき、国語の評論文に面白いものがあった。

その評論は、「本当のボランティア」とはなにか?というもので、

震災時にやってくるボランティアは組織的で、被災者からのヘルプの声がないと動かず、「待ってるのも仕事です」みたいなことを言ってるのを聞いて愕然とする筆者。ボランティア撤退の日程も決まっていて、撤退後に結構SOSが出てることが多いと知って愕然とする筆者。

その一方、阪神大震災では被災者同士が助け合って、ほんとに多くの人々が助かったということ。「ただ自分ができることをしたいという前向きさ + どうすればいいのかという不安」を相持って動くことで、困っている人に寄り添った声掛けや手を差し伸べることができて救われた人がたくさんいたそう。こういうのが本当のボランティアじゃなかろうか。という話。

この文章のなかで「何も知らないからこそ行動できる強さがある」的な一文があり、本文ではボランティアに関する記述だったけど、ほかのことにも言えるよなーって読みながら思った。大人になるにつれて、なんというか、、、将来とかお金とか見栄とか他人の目とか、ホントいろいろ見えるしわかるし気になるし。

「〇〇を知っている・わかる」ことによって、行動が阻害されてしまうことがあるって改めて感じて、大人になるっていいことばかりじゃないなと思えた。

「知っている」に立ち向かう強さ

そんなんいっても、生きていれば自然的に経験も増え、知ってることも増えてくる。それに縛られていたら、「並」なことしかできなくなる。

そこで大事だと思ったのが、「わかっていてもそこに立ち向かっていく強さ」。

なんとなくこうなりそうだな、っていう成功イメージ・失敗イメージは想定がつくけど、それに挑戦していく果敢さ。

自分の創り出すイメージに勝負を挑んで、それを超えにかかる姿勢がかっこいいと思う。

もしかしたら「どうなるか想像つくやん」っていうのも自分の思い込みかもしれないしね。現実はそれよりもうまくいくかもしれないし、逆に全くダメかもしれない。

要は、「やってみなはれ。」の精神やね。「そんなん結果予想つくやん!」っていうこざかしい自分を横に置いて、どんどんチャレンジしていきたい。

今は自由すぎてなんでもできてしまっているけど、家庭でももったならだいぶ縛られるんでしょうかね。でも自分は、死んでも絶対結婚して2人の子育てをすると決めてる。めちゃくちゃ遠回りしてるけど実はこれが一番の願望。

相手もいないけど結婚できるという根拠のない自信だけある。結婚してるイメージ、子育てしてるイメージ、いいパパしてるイメージをくっきりできてるからだろうか。

年齢は言い訳にできない。

うちのおかんは今年還暦を迎え、最近は「物覚えが悪くなってきた」と日頃から言うてます。

まだまだ元気でいてもらわな!ってのと、身体元気でボケられたら大変や!っていう思いとともに、年のせいにしてたらそのまま順調にボケてしまいそうやな、って心配にもなりました。

老いは必然だけれど年齢を言い訳にして欲しくなくて。年齢に囚われずに元気でいてほしい、とそのとき率直に思いました。

ここで、逃げ恥最終回のゆりちゃんの名言を。このシーン、力強くてかっこよかった!

あなたは随分と自分の若さに価値を見出しているのね
今あなたが価値がないと切り捨てたものは
この先あなたが向かっていく未来でもあるのよ

自分が馬鹿にしていたものに自分がなる
それってつらいんじゃないかな

私たちの周りにはねたくさんの呪いがあるの
あなたが感じているのもその一つ
自分に呪いをかけないで
そんな恐ろしい呪いからはさっさと逃げてしまいなさい(逃げ恥最終回より)

 

ほかにも、英語のことわざにも、

★”Age is just a number.” (年齢なんてただの数字さ。)

★”You’re only as old as you feel.” (年齢は自分のとらえ方次第さ。)

年を重ねるというのは、年輪を刻むように奥深くてステキだなと感じるし、自分自身もいろんな経験をしてきて少しは自分の人生を味わえる範囲が広がったように感じています。

なにかをできないこと、躊躇して踏み出せないことがあったとしても、それを年齢のせいにしたくない。かっこよくない!!てか年齢だけでなく、なんのせいにもせずチャレンジする!言い訳しない!

 

いろいろ脱線しましたが、、、

義務感とか、こうあるべき的な価値観、固定観念から生まれる「なりたい」ってのは、モチベあがらんやろうし、これからも自分に素直になって、なににも縛られずにやりたいことをやってみる!チャレンジングな生活を心がけます!







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